オディッシーダンス
オディッシー舞踊とは、、。
もともとお寺での崇拝の様式として、インドのオリッサで発展したもので、多くのダンスは、手の動きと顔の表情を通してクリシュナや他の神々についての話を伝えるものです。
手の動きは繊細で、表情は心を表す。私が今回初めて見たJyoti先生の踊りは素晴らしかった。
神に捧げる踊り、、。
以前生徒さんから頂いたmailを思い出しました。
近年雅楽の笙をやっており昨年は二回奉納演奏に参加させて頂きました。
神社が閉社した夕刻より宮司、巫女、祭事関係者のみで奉納演奏をします。 神様だけに聴いて頂く演奏なので人の観覧者は居ないのが独特です。
音を奏でる時まだまだ…無にはなりきれません。 年と経験を重ねていつかは到達してみたいです。
祈りを捧げ、神と合一出来るのも人間だけ。
様々な形で古来から人は、神に祈りを捧げてきた。
オディッシーダンスの演目の1つ Bha ja Govindam バジャ ゴヴィンダム。
ヨガそのものが描かれていました。
ゴヴィンダを探し求めよ。ゴヴィンダを探し求めよ。ゴヴィンダを探し求めよ。おお、無知の人よ。あなたが詰め込んで極めようとしている文法の規則は、死を迎えるその時、きっと何にも助けにはならないでしょう。(文法の規則とは、全ての世俗的な知識とこの世の習得の事)
蓮の葉に落ちる水滴は揺れて不安定です。不確定な人生もまた同様です。体は常に病気という脅威にさらされており、一瞬にしてそれに飲み込まれてしまう事もある事を知りなさい。
人生とは究極的には心配、悲嘆、苦悩以外の何物でもありません。何度も生まれ変わる事の悲痛を経験する事、
何度も死の激痛を通過する事、何度もお母さんの子宮に横たわる事、この輪廻転生の過程を超える事は至難です。
どうか慈悲深い主よ、そこから私を救って下さい。
あなたは誰?私は誰?わたしはどこからきたの?私のお母さんは誰?私のお父さんは誰?
尋ねなさい、そうすれば、あなたが経験している世界の全て、また心配や問題は、空想と妄想から生まれた夢であり、ただの幻覚、だと理解するでしょう。その悟りと共にこの世界の妄想から自由になるでしょう。
規則正しい呼吸と感覚の制御、不朽なものと限りあるものの識別、永遠のものと一時的なもの、ジャパと瞑想、そして魂の意識の中に体と心の意識を溶け込ませること。
内なる静けさの中へ自身を一体化させること。たゆまぬ情熱と共にこれらを実践すべきです。
自身をグルの蓮の足へひれ伏しなさい。自己管理され、そして輪廻転生の束縛から解放された感覚と心で、あなたの中にいる主を見る事ができるでしょう。